自説経・涅槃に関係したお経4つ

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小部経典
3.自説経(無問自説経)
8.パータリ村の[人]品
                                                       〔 〕:補足、( ):説明

1.第一の「涅槃に関係したお経」
71
このように私によって聞かれました。或る時(一時)世尊はサーワッティ(舎衛城)の祇園精舎に滞在されておられた。
実に、また、その時をもって、世尊は比丘たちに涅槃に関係した説法をもって教示し訓戒し鼓舞し歓喜せられた。
ここに彼の比丘らは、[解脱(覚り、悟り)という]目的を持って、注意して一切を心に思念して、耳を傾けて法を聞いた。
そこで世尊はこの事(彼らの意気込み)を知りて、その時この自説経を話された。


「比丘たちよ、このような状態があります、そこには地も、水も、火も、風も、
空無辺処も、識無辺処も、無所有処も、非想非非想処も、この世も、あの世も、月と太陽の両者もありません。
さらに、また、比丘たちよ、私は[誰かが、そこから]来ることを、[そこへ]行くことを、[そこに]住むことを、
[そこで]死ぬことを、生まれ変わることを説きません。
これ(涅槃)は、[何ものにも]依存せず、[何ものにも]作用せず、[つまり縁起の]対象になりません。
これ(涅槃)こそが苦の終り(滅)です」と。
第一の[お経が終了した]




2.第二の「涅槃に関係したお経」
72
このように私によって聞かれました。或る時(一時)世尊はサーワッティ(舎衛城)の祇園精舎に滞在されておられた。
実に、また、その時をもって、世尊は比丘たちに涅槃に関係した説法をもって教示し訓戒し鼓舞し歓喜せられた。
ここに彼の比丘らは、[解脱(覚り、悟り)という]目的を持って、注意して一切を心に思念して、耳を傾けて法を聞いた。
そこで世尊はこの事(彼らの意気込み)を知りて、その時この自説経を話された。


「向かう方向のないもの(涅槃)は見難いということで、実に真理は見易くないのです。
しかし、知者であり見者である者にとって、渇愛は見通され、[無明など]何ものも残っていないのです」と。
第二の[お経が終了した]




3.第三の「涅槃に関係したお経」
73
このように私によって聞かれました。或る時(一時)世尊はサーワッティ(舎衛城)の祇園精舎に滞在されておられた。
実に、また、その時をもって、世尊は比丘たちに涅槃に関係した説法をもって教示し訓戒し鼓舞し歓喜せられた。
ここに彼の比丘らは、[解脱(覚り、悟り)という]目的を持って、注意して一切を心に思念して、耳を傾けて法を聞いた。
そこで世尊はこの事(彼らの意気込み)を知りて、その時この自説経を話された。


「比丘たちよ、[そこでは、新しく]生まれるものがなく、[すでに]存在しているものもなく、働き(活動)なく、縁起の法も受けません。
比丘たちよ、もし、[新しく]生まれるものがなく、[すでに]存在しているものもなく、働き(活動)なく、縁起の法を受けないということが無いならば、
この世で、[新しく]生まれるもの、[すでに]存在しているもの、働き(活動)、縁起の法から解脱するということは分からないでしょう。
比丘たちよ、実に、[そこでは、新しく]生まれるものがなく、[すでに]存在しているものもなく、働き(活動)なく、縁起の法も受けることもないので、
それを体験すれば、[この世で、新しく]生まれるもの、[すでに]存在しているもの、働き(活動)、縁起の法から解脱したということが分かるのです」と。
第三の[お経が終了した]




4.第四の「涅槃に関係したお経」
74
このように私によって聞かれました。或る時(一時)世尊はサーワッティ(舎衛城)の祇園精舎に滞在されておられた。
実に、また、その時をもって、世尊は比丘たちに涅槃に関係した説法をもって教示し訓戒し鼓舞し歓喜せられた。
ここに彼の比丘らは、[解脱(覚り、悟り)という]目的を持って、注意して一切を心に思念して、耳を傾けて法を聞いた。
そこで世尊はこの事(彼らの意気込み)を知りて、その時この自説経を話された。


「依存する者に動揺があり、依存しない者に動揺はない。
動揺のないところに軽安があり、軽安のあるところに縛り付け(定め)はない。
縛り付け(定め)のないところに行き来はなく、行き来のないところに死生はない。
死生のないところにこの世もなくあの世もなく両者の中間もない。
これ(涅槃)こそが苦の終り(滅)です」と。
第四の[お経が終了した]




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