如是語経・涅槃界経

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小部経典
4.如是語経
7.涅槃界経

                                                            〔 〕:補足、( ):説明

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実に、これが世尊によって説かれたこと、阿羅漢によって説かれたことと、私は伝え聞いています。


比丘たちよ、これら2つの涅槃の状態があります。
2つとは何でしょうか?有余依涅槃の状態と無余依涅槃の状態です。


比丘たちよ、有余依涅槃の状態とは何でしょうか?


ここに、比丘たちよ、比丘は阿羅漢となり、煩悩が尽き、完成し、為されるべきことが為され、重荷(煩悩)をおろしました。
自分の利益(阿羅漢果)を得て、存在の縛りを滅して、正しく完全智で解脱したのです。


[しかし]彼の五根はまだ存続しています。というのは破壊されていないからです。
[従って彼は]意に敵うもの意に敵わないものを経験し、楽と苦を受けます。
[それでも]彼は貪を滅し、瞋を滅し、痴を滅した者です---
比丘たちよ、これを有余依涅槃[を体験した]状態と言います。


比丘たちよ、無余依涅槃の状態とは何でしょうか?


ここに、比丘たちよ、比丘は阿羅漢となり、煩悩が尽き、完成し、為されるべきことが為され、重荷(煩悩)をおろしました。
自分の利益(阿羅漢果)を得て、存在の縛りを滅して、正しく完全智で解脱したのです。


比丘たちよ、ここ(臨終を迎えた時)に彼の一切を感受した[五根]は楽しむことなく、冷たくなるでしょう。
比丘たちよ、これ(阿羅漢の死)を無余依涅槃の状態と言います。


比丘たちよ、実に、これら2つの涅槃の状態があります」と。
世尊はこの教えを説かれた。


その時、これを次のようにも言われた

「これら2つの涅槃の状態は具眼者たる無依の、その如き者(世尊)によって明らかにされた。
実に、一つの状態である有余[涅槃]は、ここ現世[で体験する]ものであり、生存に導くもの(無明・煩悩・渇愛)を滅している。
また無余[涅槃]は未来(阿羅漢の死の時)のことであり、そこでは、あまねく存在が滅している。
解脱した心は生存に導くもの(無明・煩悩・渇愛)を滅している故に、これを無為処(涅槃)と了知して(いるところの)
彼らは、法の核心に到達して滅尽を喜んでおり、それら一切の存在を捨断したそのような者たちである」と。


この教えも世尊によって説かれた、と私は伝え聞いています。

第七[のお経が終了した]。





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